記述内容などには細心の注意を払っておりますが、以下誤りが生じた点を訂正し、お詫び申し上げます。
また、誤りをご指摘いただいた方々に、この場をお借りして御礼申し上げます。もしほかにも誤りがございましたら、「CONTACT」のメールフォームを使ってご連絡いただけると幸いです。
世界と日本の鉄道史(技術評論社)
- p75 上の図
- 左の図 「1904年」→「1903年」
- 右の図 「烏森」→「新橋」、「新橋」→「汐留」(「烏森駅」と「新橋駅」は、1914年の東京駅開業を機にそれぞれ「新橋駅」と「汐留駅」に改称されました)
図解まるわかり 電気自動車のしくみ(翔泳社)
- p68 「20世紀初頭に実在したハイブリッド自動車」の1行目〜10行目を、以下の文章に訂正します(2024年7月3日追記)
- 1898年には、オーストリア人のフェルディナイト・ポルシェが「P1」と呼ばれる電気自動車を開発しました。これは、外観が馬車に似た乗用車でした。
- 1899年には、ベルギー人のカミーユ・ジェナッツィが「ジャメ・コンタント」と呼ばれる電気自動車を開発しました(図3-3)。これは、流線型のボディを採用した乗用車で、走行試験で105.9kmを記録し、自動車史上初めて100km/hを突破しました。
- 1900年には、先ほど紹介したポルシェが「ローナー・ポルシェ・ミクステ」と呼ばれるシリーズ方式のハイブリッド自動車を開発しました(図3-4)。これは、インホイールモーター(車輪に内蔵したモーター)で駆動する乗用車であり、航続距離を延ばすためにガソリンエンジンで動く発電機を搭載していました。
- p69 図3-3と図3-4を置き換え(2024年7月3日追記)
- p69 図3-4(旧図3-3)のキャプション(2024年7月3日追記)
- フェルデナイト・ポルシェが開発した「ローナー・ポルシェ」
- →フェルディナイト・ポルシェが開発した「ローナー・ポルシェ・ミクステ」
- p86とp189で同じ写真が載っています。この写真は「北京」で撮影されたものなので、p189の写真キャプションが誤っています。
- p98 本文最後の行 (2刷で修正済)
- 「析出した金属によって双方の電極がショートするのを防いでいます」
- →「双方の電極が接触してショートするのを防いでいます」
- p99 図4-12 (2刷で修正済)
- 「正極端子」
- →「正極端子(安全弁内蔵)」
- p101 図4-14 (2刷で修正済)
- 空気極の反応式 4H+ + 4e- +O2 →2H2O
- p133 図6-5 (2刷で修正済)
- 電圧の平均値(実行値)
- →電圧の平均値(実効値)
- p173 図8-6の出典表記 (2刷で修正済)
- 「IEA Global EV Outlook 2022」
- →「連載『カーボンニュートラルの実像 JAMAデータベースから(7)クルマのライフサイクルCO2』日刊自動車新聞電子版 2021年6月25日付 https://www.netdenjd.com/articles/-/251732 」
図でわかる電車入門(交通新聞社)
- p91 「SiC」→「SiCを材料としたMOSFET」(SiCは素子を作るための材料であり、GTOやIGBTと同列で語るのは誤りです)
- p94 左段下から2行目 「日本の狭軌電車で」→「日本の国鉄・JRの在来線電車で」(日本の私鉄・民鉄では、カルダン駆動を採用した狭軌電車が1950年に存在したので、主電動機が交流電動機になってからWN継手が本格的に狭軌電車に導入されたとするのは誤りです)
- p124 空気極の反応式 4H+ + 4e- +O2 →2H2O
オリンピックと東京改造(光文社新書)
- p26 図0-2 誤記: 「砲丸投げ」→「バレーボール」
- p31 マラソンが開催されたのは10月21日です。
- p42 図0-3 「明治オリンピックパーク」→「明治オリンピック・パーク」
- p70 図0-10 「都電全盛期」→「都電の路線網の全盛期」(輸送人員のピークは1963年ではなく、1955年)
- p71 都電全廃(荒川線を除く) 1971年→1972年
- p166 右から2行目 「ミッシングリング」→「ミッシングリンク」
- p221 図6-3 外環道の千葉県区間(三郷南IC〜高谷JCT)は2018年6月に開通しました。図では、京葉JCT〜高谷JCTが未開通のままになっています。
日本の鉄道は世界で戦えるか(草思社)
- p192 右から8行目 出典の誤記:『首都高速道路公団三十年史』→『首都高速道路公団二十年史』
東京道路奇景(草思社)
- p235 左から5行目 出典の誤記: 「概要」→「発足」
- P238 右から3行目 同じ文言の繰り返し:「ところが」→削除
- P331 右から4行目 誤記:「人体で」→「人体で言えば、」
- P336-P337 資料番号のズレ [3-10] 首都高速道路公団編『首都高速道路公団事業のあらまし』,1961 [3-11] 『東京の都市高速道路について』東京都PRパンフレット,1959 以降、資料番号が1つずつズレる
図解・燃料電池自動車のメカニズム
P46 図1-11 「自動車の駆動性能」のグラフの横軸 「回転速度」→「走行速度」
P60 図1-21 空気極の反応式 4H+ + 4e- +O2→2H2O
図解・首都高速の科学(講談社)
- p22 「日本橋道路元標」→「日本国道路元標」 標識では「日本橋道路元標」と記されていますが、正式名称は「日本国道路元標」です。
- P152 図5-13 板橋JCTの連結路の構造に誤りがありました。下図をご参照ください。
- P189 小見出し 『日本唯一の「右側通行」道路?』→『日本で珍しい「右側通行」道路?』 これは誤解を招く表現でした。日本国内の右側通行の道路は、首都高速の品川線以外にも、池袋線の志村PAや、北陸自動車道の敦賀〜今庄間の位置の一部など、複数存在します。
鉄道を科学する(SBクリエイティブ)
- P59 保線用車両の愛称「青大将」→「青太郎」
- P78 本文上から10行目「1958年にはすべて寝台車で構成した寝台特急「あさかぜ」が登場しました」→「1968年からは、寝台特急「あさかぜ」がすべて寝台車で運転されました」(1958年時点では、すべて寝台車[20系]ではなかったというご指摘をいただきました)
- P85 下の写真説明 「キハ201系」→「キハ261系」
- P103 上の写真説明 「16編成」→「16両編成」,「1,323名」→「1,634名」
くらべる鉄道(東京書籍)
- カバーの帯 流通した初期出荷分(初版の一部)の帯に誤りがあります。裏表紙側で示した車両の屋根高さの基準は、レールの下側(底面)ではなく、上側(頭部の上面)です。
- P60 首都圏の鉄道主要ルート 水上と長野原草津口に向うルートは、大宮を経由します。東武日光と鬼怒川温泉に向うルートは、大宮を経由しないルート(東武線)が存在します。
- P68 アセラ・エクスプレスのビュフェメニュー 「照焼チキン丼」は、現在提供されていません(2011.11.12米国現地で確認)。この記事は、制作時点(2011年8月)でのメニューを参考としましたが、期間限定の企画メニューだったようです。
電車のしくみ(筑摩書房)
- P185 図5-15 リニアモーターの磁極が逆になっていました。
- P191 図6-2の説明 モーター1個あたりにかかる電圧が1〜1/2〜1/4になるのは、4個のモーターを接続した部分全体にかかる電圧を1とした場合です。主抵抗器は含みません。
- P196 図6-4右上の文字 「下流(プラス)」→「上流(プラス) 川の水が上流から下流に流れるように、電気もプラスからマイナスに流れるという例えですが、文字に誤りがありました。
図解・地下鉄の科学(講談社)
- p58 本文上から8行目 「ブルーライン」→「グリーンライン」米・ボストンの地下鉄でLRVが走っているのは「グリーンライン」です。
- p146 図4-6下「上から見た永田町駅近辺の立体図」 半蔵門線と南北線の上下関係が逆になっています。正しくは、図4-6上の立体図のように下が半蔵門線、上が南北線となります。
超図説解説・鉄道のひみつ(学研パブリッシング)
- p56 上の図のキャプション 車輪がカーブ外側に移動するのは、左右のレールの長さの差によって車軸の向きが変わるからです。遠心力だけで語るのは誤りです。
- p65 左から3行目 I.K.ブルネルが実用化試験をした年 ×「1897年」→○「1847年」
- p99 上の図 上が「動力集中方式」、下が「動力分散方式」です。
- p104 上の図 新幹線電車が登場したのは、昭和39年(1964)です。西暦表記に誤りがありました。
- p207 図と本文 紹介内容が不正確でした。現在の自動改札機は、「背の高さ」ではなく「人の動き」を検知しています。現在の検知方法の詳細は、自動改札機メーカーの公式サイトで公開されていません。
鉄道車両を知りつくす(学研パブリッシング)
- p24 客車の重量を示す記号 正しくは「ス」:37.5t以上42.5t未満 「マ」:42.5t以上47.5t未満です。「ス」と「マ」が逆になっていました。
- p56 JRの電化区間分布図 北陸本線の交直セクションの位置 【誤】青海〜糸魚川 →【正】糸魚川〜梶屋敷
- p132 「ノーズ可動クロッシング」の図に誤りがありました。